これは明治時代に山口県が生んだ文豪 国木田独歩の写真である。筆者は「定本 国木田独歩全集
第一巻」の扉にこの写真(明治39年撮影)が載っているのを発見、その写真をここに掲載させていただく。
見出しの「山林に自由存す」は筆者が好きな詩の一つであり、苦心して英語に翻訳したので、日英対象の形で、このページに紹介したい。
この「山林に自由存す」の詩は国木田独歩とゆかりのある土地には、いろいろな形で詩碑が建立されているようである。田布施町の詩碑は次に紹介する写真のように、この詩の結句が次のように刻まれている。
なつかしき わが故郷は何処ぞや
かしこに われは
山林の児なりき
顧みれば 千里紅山
自由の郷は
雲底に 没せんとす以上の説明文を英語で読みたい方はどうぞ次をご覧ください。
国木田独歩の詩碑 Englsih Version
This is the photograph of Doppo Kunikida, a great man of letters, whom Yamaguchi Pref. produced in the Meiji Era. The administrator (author) of this home-page found it in “The Complete Works of Doppo Kinokuni” vol. 1.
The headline “The Freedom Exists in the Woods (Forest)” is one of the poems I like very much. So I have translated it into English and inserted it on this home-page in Japanese-English contrast style.
This poem monument “The Freedom Exists in the Woods (Forest)” can be found in the areas which are noted in connection with Doppo Kunikida in various ways. You shall be able to find various monuments of Doppo Kunikida.
The Stone Monument of Doppo Kunikida here in Tabuse-cho is made of natural stone as you see on the following photograph, and the concluding part of this poem is written as follows:
Where is my dear old hometown?
At that place
I was a wild child of the woods(forest)
. As I look back, the mountain thousand miles away
. The land of freedom
Is going to sink down to the bottom of the clouds
自然石で作られた詩碑の説明板には次のように書かれている。説明板の文字が薄れており、分かりにくいので、国木田独歩の説明を兼ねて、次に全文を掲載しておきたい。
国木田独歩の詩碑
昭和26年(1951)11月3日文化の日に独歩顕彰会の有志によって建立されたものである。
独歩は明治4年(1871)7月15日 国木田専八の子として千葉県銚子市にて出生した。
幼名は亀吉、独歩は筆名である。
明治9年 父が職を山口裁判所に奉ずるに及んで、一家は山口、萩、広島、岩国などへ転居した。
19歳のとき 哲夫と改名する。
明治24年、21歳のとき東京専門学校を退学し、一家の居住する麻郷村(現 田布施町)に
帰り、吉見家に寄寓し、修養に努めると共に重厚な詩情を培った。
また、隣村の麻里布の浅海家に仮寓し、近くの石崎家にしばしば出かけ、初恋の人、石崎トミ
と出会う。そしてこれらを背景にした「酒中日記」「帰去来」「悪魔」など多くの作品を残して
いる。
なつかしき わが故郷(ふるさと)は何処(いずく)ぞや
彼処(かしこ)に われは山林の児(こ)なりき
顧(かえり)みれば 千里紅山(こうざん)
自由の郷(さと)は雲底(うんてい)に没せんとす
「山林に自由存す」より明治41年6月23日神奈川県茅ヶ崎にて逝去する。享年38歳
田布施町教育委員会
なお、この「国木田独歩の詩碑」が最初に建立された土地は瀬戸内海の風光明媚な麻里布海岸の
国道188号線沿いにあったが、諸事情により、平成10年3月に麻里布公民館の敷地内に移転されたものである。
以前の場所についての状況は山口県観光協会のホームページ「国木田独歩の詩碑」を参照されたい。
http://www.oidemase.or.jp/tourism-information/spots/16617*なお、国木田独歩全集 第10巻の「発表年月日順著作目録」 p.61によれば、「山林に自由存す」は明治30年(1897)独歩が27歳の時、「自由の郷 {抒情詩}」と題して雑誌「国民の友」で発表されたようである。
以上の説明文を英語で読みたい方はどうぞ次をご覧ください。
国木田独歩の詩碑 Englsih Version
The explanation board of this poem stone monument says as follows:
This poem stone monument was erected on 3 November 1951 (Showa 26), on the Culture Day by the Manifestation Group of Doppo Kunikida. He was born on 15 July 1871 (Meiji 4) in Choshi City, Chiba Pref.as the first son of Senpachi Kunikida. His infant name was Kamekichi, Doppo is his pen name.
In 1876 (Meiji 9), his father was transferred to Yamaguchi Court of Justice, so his family moved to Yamaguchi, Hagi, Hiroshima, Iwakuni, etc. with their father.
When Doppo was 19 years old, he changed his name to Tetsuo.
In 1881 (Meiji 24), when he was 21 years old, he left Tokyo College for his personal reason and came home to Ogo-mura (Tabuse-cho), where his family lived. He lodged at Mr.Yoshimi’s house and made endeavors for his improvement and cultivated (fostered) his rich poetical attitude of mind.
Later, he lodged at Mr. Asami’s house, which stood in the next village, Marifu-mura (Tabuse-cho). He often visited Mr. Ishizaki’s house, which stood near, to see the partner of his first love, Miss Tomi Ishida. And with these objects in this area for setting he has left many works of letters such as “Shuchu-Nikki” (A Diary under the influence of Sake (wine)”, “Kikyorai” (Going-home-Leaving-Coming) ,” and “Akuma” (An Evil Spirit)”、etc.
Where is my dear old hometown?
At that place
I was a wild child of the woods(forest)
. As I look back, the mountain thousand miles away
. The land of freedom
Is going to sink down to the bottom of the cloudsFrom “Freedom Exists in the Woods (Forest)”
On 23 June 1908 (Meiji 41) Doppo Kunikida died at the age of 38 in Chigasaki City, Kanagawa Pref.
Tabuse-cho Board of Education
山林に自由存す Freedom exists in the Woods (Forest)
国木田独歩(全集第1巻)p.38 By Doppo Kunikida
翻訳: 藤山 照夫 Translated by Teruo Fujiyama *一部 漢字をかな書きにしたり、行をかえたりしています。
次に国木田独歩の他の詩を少し紹介したい。
国木田独歩全集 第6巻「欺かざるの記」(前編)p.171
明治26年7月10日 「エマーソンの詩人論を読む。ワーズワースを唱して敬虔の念に打たる、アゝ神聖なる世界。新体一つあり。」と前置きして、「夏の雲」を詠っている。
*上記の詩、その2行目から4行目(テキスト青色)を見ると、国木田独歩が田布施町の高塔山(高叫山)の頂上で吟じた雲の詩を思い起こす。
「独歩は吉見トキの三女ハルをつれて近くの高塔山(独歩はよく高叫山と呼んだ)に登った。ここから室津半島の箕山や、柳井の琴石(山)をはるかに望むことができた。独歩はハルに次の詩を作って口吟した。「雲やどこへいく/お前のあしははやいな/ 箕山へいくか/琴石へいくか」
「青年時代の国木田独歩」より
Cloud! Where are you going? (Which direction are you going in?)
You are fleet (swift) of foot, aren’t you?
Are you going to Mt.Miyama? Or are you going to Mt.Kotoishi?
翻訳:藤山 照夫 Translated by Teruo Fujiyama
*この詩について、「国木田独歩 人と作品」の著者、本多浩氏は次のように絶賛し、説明を加えている。ここに一部引用させていただきます。
{当時の独歩の心境が反映されて、絶唱と呼ぶにふさわしいすぐれた一篇である。銚子に生まれ、幼少時代を風光明媚な中国地方で送り、新聞記者、田舎教師などの職につき、山林に自由を求め、現実と闘った独歩はここに至って矢折れ、力つきて敗れゆく自己の姿を予感した。「要するに悉、逝けるなり!」すべては過去になり、時の流れの中に消え去っていく、
自分の肉体もまた消え去ろうとしている。「古も暮れゆきしか、今も又!」独歩は哀しく涙を流す。その哀しみを独歩は美しく叙情するのである。源おぢも死んだ。「春の鳥」の六さんも死んだ。「川霧」の主人公も死んだ。独歩は死の迫りつつあるのを予感した。源おぢたちが悠久なる自然に帰っていったように、自分も今、自然に帰っていこうとしている。すでに独歩は「要するに悉、逝けるなり」と言うよりほか、自分の心境を表すことはできなくなっていた。「秋の入日」を書いてから一年たらずで彼の肉体は消え去った。独歩もまた自然に帰っていったのである。}
「国木田独歩」 人と作品
福田清人編 本田浩著 清水書院 P.123
http://www.shimizushoin.co.jp/tabid/89/pdid/741/Default.aspx
**上記の引用文掲載について、令和元年10月2日に清水書院より温かいご了解を得ましたので、同社の国木田独歩の書籍紹介のアドレスをリンクとして貼って、ここに紹介させていただきます。
ご多忙の折、早速了解のご返事をくださいました清水書院の温かいご高配に厚くお礼を申し上げます。
最後まで見てくださいまして有難うございます。
もし、間違いや気になる点がありましたら、
どうぞ下記のメールアドレスへお知らせください。
皆様のお声をお待ちしています。
email:tfujisan786@mx5.tiki.ne.jp
無断コピー、転載をお断りします。
2 個のコメント
1 個のping
こんにちわ。
国木田独歩は、山口や萩など西で活躍し、亡くなる時は茅ヶ崎だったのですか。
38歳で亡くなられたとは・・・。
西日本の豪雨は大丈夫でしたか。
Author
むかごさん、こんにちは!
国木田独歩の詩を読んでくださいまして有難うございます。
仰せのように、独歩は5歳から16歳まで、父親の勤務の関係で、
主に山口県内を点々と移動しています。学校も岩国の小学校から
山口の小学校へ、それから山口中学校、それから東京専修学校。
日記も詳しく書いていますので、興味がありましたら、「欺かざ
るの記」をご覧ください。
この地方の、あの山に登ったとか、釣りに行ったとか、山に登っ
て演説の練習をしたとか、、、いつも弟の収治と一緒に。
[…] 国木田独歩の詩碑「山林に自由存す」 Freedom Exists in the Woods (Forest) 2018年6月19日 […]